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Artist's commentary
安達としまむらのそういうあれじゃない絵
しまむらの乳首はどうなっているんだろう。突拍子のない考えじゃない。
かといって流石にいつもこんなことを考えているわけではない。
ふと、美術書で「浴槽の2人の女」という絵を見て思い立った。
この干し葡萄のような乳首を見て、「こんなのだとちょっとやだなぁ」なんて最初は内心失笑していたのに、
「じゃあどんな乳首ならいいんだ」としまむらに考えがシフトチェンジした途端止まらなくなった。シフトチェンジというより脱線が正しいか。
ともかく、年明けの胸を見たいかどうかの妄想を掘り起こす。
あの時点でしまむらの乳首も経験済みのはずだ。…妄想のなかでだけど。
しかし、しまむらの丸みのインパクトのせいで、肝心の乳首の解像度は全く足りていなかった。
情報収集不足を痛感していると、ぼんやりとこの絵画の2人に私としまむらが重なってきた。
シチュエーションも意味も分からないけれど、これはあくまで芸術で、学術的好奇心において、自分以外の同性の乳房に関心があるのは、思春期当然の悩みだと思うし、そういう機会があるならば
触診…、触診かこれは?とにかくそういうあれでなくともし、しまむらの乳首を触って、確認して、あとは…あとは……うん……
とめどない欲望が熱となり、むくむくと熱気球のように妄想を膨らましてゆく。
私の心はふわふわと飛び立ち、そのまま深い闇夜に溶けていくのだった。