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Artist's commentary
荼毘に付す
いずれログをまとめる時にと思ってたけど、こういうのは原作で何かある前に出しておいたほうがいいなと思ったので、単独でup。
「荼毘に付す」は、ご存知の通り、火葬することを意味する表現(より正確には仏教用語)です。
日本では、ご遺体は火葬するのが一般的です。「火葬」と聞いた時、多くの日本人は、火葬場に親族が集まり、遺体を焼き、骨を血族が拾い、骨壷に納め、親族で食事をしながら亡くなった人について思い出を語り合い気持ちの整理をつけて死者を悼む…という光景を想像すると思います。
「荼毘」という単語自体にそこまでの意味は含まれませんが、火葬から想起される光景、そこに含まれる感情(郷愁、悼み、喪失感…)は自然と付随してきます。その「荼毘」を、己の名として轟燈矢が名乗っている、ということのエモさ。
燈矢は一度死んでいます。己の炎で山ごと燃え、探しに来たエンデヴァーがその骨の一部を拾って持ち帰っていることは、「火葬」をなぞらえたものだと思います。燈矢は、既に一度「荼毘に付されて」いるんです。
「涙腺が焼けて泣けない」はガチなんだろうと思います。感情が昂ると火力が上がって涙が出てしまう子が、泣けなくなった。涙の代わりに、荼毘は血が流れる。九州ハイエンド脳無戦の後の荼毘は、泣いていたんだろうと思います。
轟家の行く末は見守るしかないけど、自らの炎で燃え尽きてしまうのなら、それよりもお父さんの炎で燃やしてほしいと個人的には願っています。