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怒涛
あ~わかってくれとは言わないが!そんなに俺が悪いのか!ああ?! つーことでブーディカpixiv #12837486 »です。ブリタニア南部のケルトのイケニ族はローマと同盟を結び独立していたのですがプラスタグス王亡き後、当地のローマ人達は属州化をすすめ王妃ブーディカと娘達に暴行を加えました。彼女は王国の独立と侮辱に対する復讐のため60年頃決起、ロンディニウム(ロンドン)等のローマの植民都市を焼け野原にかえました。この反乱は歴史家のタキトゥスとディオがふれてますが資料は多くないようです。ブーディカという名前は勝利を意味していて、これは個人の名前というよりアーサー王のような象徴的な称号ではないかと見る人もいるそうです。ワトリング街道の戦いで彼女の軍勢23万はスエトニウスに敗れましたが、この場所も諸説あるようです。あやふやなところも多いですが、後の大物アグリコラが参戦したりしてて、あついです。ところで1870年代につくられた彼女の像には「どこの帝も知らない、汝の子孫が統治することを」と碑文がそえられています。これは同じく勝利を意味するヴィクトリア女王のもとイギリスが繁栄した世相を反映しているようです。これを読んだとき、奇妙なことのように思われました。大英帝国のイギリス人がなぜ蛮族であるブーディカに共感したような像をたてるのか?と。近代のイギリス人はローマ後に入ってきたゲルマン人pixiv #9442818 »の血をアイデンティティとしていて、ローマ=帝国=ナポレオンの連想で反感をもっていたようです。ですがイギリス自身の帝国化が進み、ドイツ=ゲルマンが台頭してきたことで、あらたにローマ出自としてのイギリスが見直されたらしいです。ゲルマン出自もローマ出自も嘘ではないのですが、どの側面を強調するかは政治的意図や流行によって変わるのだと思うと、真実とはぶれができる気がします。歴史を見るときにそうしたものを排して中立な目で見れたらとも思うのですが、読んでる資料が政治的流行や意図を含んでたり、自分自身にも偏りがあるはずと思うと中立な視点なんてないんじゃないか?とか思ったりもします。